2024



 登頂日    場所  タイトル  感想
 6/16 吉和冠山  広島県廿日市市吉和  貴婦人  吉和冠山にオオヤマレンゲを見に行こうと誘われて行って来ました。吉和冠山には以前花を追っかけている時は、サラサドウダンとオオヤマレンゲを見に6月上旬と中旬にニ度登っていましたが、最近は花に以前ほど心が高鳴らず遠のいていました。久しぶりに行って見ると、以前あった木が枯れていて随分減っていました。寂地分岐から先の所は逆に木が成長して花や蕾が付いていました。久しぶり見たオオヤマレンゲは貴婦人と呼ばれるに相応しく清掃で凜としていました。また登った時に花が増えているとよいですね。 
 6/14 本明山  江津市有福温泉町本明  山城からの
胸の空く展望
有福温泉町にある本明山は石見益田氏の一族福屋氏が居城とした山で、山頂奥には立派な金比羅宮が建っていました。喘ぎながら着いた山頂の岩からは天下を取ったような大展望が広がっていました。オニヤンマの飛ぶ山頂で展望を眺めて至福の一時を過ごしました。チェックインまで時間があったので、山頂の概念図を見て林道を降りてみると、ササユリが出迎えてくれました。有福温泉よしだやで疲れを癒やし、料理に舌鼓を打ちました。今年に入り三度に渡り、江津、浜田、益田と柿本人麻呂の終焉地を巡る旅を通して、色々な発見があり、石見を益々身近に感じました。石見には懐かしい山陰地方の風景や文化が多く残っていました。
 6/14 浜田城址  浜田市殿町  鴨山から亀山へ  浜田城のある山は飛鳥時代から鴨山といわれたそうですが、江戸時代縁起が良いと言うことで亀山に改名されました。石見国府が近くにあった所から鴨山が柿本人麻呂の終焉地の候補地の一つとされています。浜田城址からは北前船が寄港地した松原湾、外ノ浦が望めます。下山後浜田資料館(御便殿)に寄りましたが、浜田資料館には浜田藩の歴史や、北前船で運ばれた産物などが展示されていました。また浜田藩の地場産業の長浜人形が飾られていますが、人麻呂との関わりは発見出来ませんでした。その後伊甘神社と石見畳ヶ浦を見学しました。
 6/13 漁山  浜田市鍋石町  航海の目印の山  漁山は文字通り、浜田沖の海から漁師や、舵取りが目印にした山であろう。柿本人麻呂の時代は道がそれ程整備されていなかったと思われるので、沿岸を船で移動したことが考えられる。時代は下るが江戸時代浜田は北前船で大いに栄え、海上交通の要の町でもあった。野坂峠からしばらくは、荒れた笹道を登って行くと尾根に上がり、歩きやすくなる。急坂はないが二座目で蒸し暑いので、山頂の浅間神社(現在は小屋のようになって御神体は下ろされている)で座りこむ。甘い物を口にしたら落ち着いた。山頂には十国山頂上の大きな標識と反射板があり、浜田沖の日本海が良く見えた。
 6/13 大麻山  浜田市三隅町室谷  違う場所の
一等三角点ピーク
13日柿本人麻呂が眺めただろう大麻山、漁山に登り、浜田ワシントンホテルプラザに宿泊して、翌日14日人麻呂終焉地の三番目の候補地の浜田城址(亀山)や、飛鳥時代の国府址といわれる伊甘神社、石見畳ヶ浦を見学して本明山に登り、有福温泉町よしだやで70歳の誕生日を迎えました。これで、人麻呂の終焉地と言われる斎藤茂吉説の島根県邑智郡美郷町湯抱の鴨山、梅原猛説の益田市沖の鴨島、浜田城址(亀山)説を巡り、所縁の地とされる江津川、津ノ浦、大崎鼻、石見畳ヶ浦、石見国府址、浜田川、高津柿本神社、戸田柿本神社、人麻呂遺髪塚、高津川にも行きました。人麻呂が眺めたであろう高角山、大麻山、漁山、比礼振山、大道山にも登ってみました。斎藤茂吉鴨山記念館や、高津神社の資料館、浜田城資料館などの資料も拝見して、個人的には益田市の沖に沈んだ鴨島が柿本人麻呂の終焉地と結論付けました。今回も遠い飛鳥時代に想いを馳せ、人麻呂終焉地を探す楽しい旅になりました。
 5/26 房の大山  千葉県館山市波左間・館山市坂田  一等三角点
(点名:房大山)
前日民宿矢原荘で一等三角点研究会の全体会議と懇親会を行って、千葉県館山市の大山へ登る。大山は標高193mだが殆ど海抜0mから登るので侮れない。登山道ははっきりしているが、植物が南国の物のようで、まるでジャングルを歩いているようだ。一等三角点は房州石で作られていて、通常と違い地域の特徴を出した三角点だった。今回一等三角点研究会の前山として、男体山・日光白根山・赤城山・武尊山筑波山・富山・鋸山・高宕山・大山と九座登り、一等三角点を五座踏む満足の行く山行になった。日光東照宮竹下夢二伊香保記念館なども見学出来た事も良かった。
 5/25 高宕山
石射太郎山 
千葉県君津市怒田沢
富津市宇藤原
 
休んではいけない山  高宕山は「休んではいけない山」として日本百低山で紹介された。雨の少ない房総の雨乞いの山として山頂には羽釜があり、その中の水を持って帰り田に撒くと雨が降ると言われている。途中で休むとそこで雨が降るので、その謂われがあるそうだ。また山頂近くにある観音堂は十一面観音が祀られていて治水を祈願したようだ。道中高宕石の石切り場あり、石射太郎山の巨人伝説あり、房総の深い森ありの楽しい山登りが楽しめた。それにしても、携帯電話はギガを使い切ると、動きが遅くなりYAMAPは開けず役に立たない、今回高宕山は予定外だったので地図はコピーして来なかったがやはり紙の地図は必要だと痛感した。
 5/24 鋸山  千葉県富津市金谷
千葉県安房郡鋸南町元名
 
地獄のぞき
百尺観音
石切場跡 
鋸山は江戸時代から昭和60年まで房州石を切り出していた石切場があった。鋸山には高さ31mの日本一の大仏、百尺観音、地獄のぞき、石切場跡などの見所が多い。鋸山の山頂には一等三角点(点名:鋸山)があり、ここまで足を伸ばす人も多い。石切場跡まで戻って来ると、中学生や高校生の修学旅行の団体が多くいた。やはり鋸山は観光地だった。
 5/23 富山  千葉県南房総市合戸  南総里見八犬伝
ゆかりの山 
千葉県に来たら日本百低山の酒場詩人の吉田類さんが登った富山に是非登りたいと思っていた。富山は曲亭馬琴の南総里見八犬伝ゆかりの山で、霊犬八房と伏姫が住んだ洞穴「伏姫籠穴」がある。富山南峰には伏姫を祀った観音堂があり、石板には「山高きゆえに貴からず 曲亭翁の霊筆によりてこの山の名 長しえに高く尊し」と刻まれている。その先には八犬士終焉の地の石柱があり、里見氏が祀った金比羅様の社殿が建っていた。山頂からは房総の丘陵や東京湾が一望出来き、正に馬琴が書いた南総里見八犬伝に相応しい山だった。 
 5/22 筑波山  茨城県つくば市筑波  ガマの油  筑波山は周りに高い山がないので900mに満たない標高だが、北関東自動車道を走ると筑波山の双耳峰が遠くから見えてくる。近づくと意外と高く聳えて見える。ロープウェイつつじヶ丘駅の駐車場から筑波山へ登ると、途中の東屋からは霞ヶ浦が望める。弁慶茶屋跡からは奇岩が次々現れ険しい道がつづく。女体山にはお社があり、筑波山の標識の近くの岩の上に一等三角点が座っている。女体山からは関東平野が広がる。ケーブルカー山頂駅の広場を過ぎて男体山に登るとここにもお社があり、ここからも関東平野が見える。ケーブルカー山頂駅の広場でランチにして、ガマの油を買って帰った。
 5/21 高手山
西峰
剣ヶ峰山
武尊山 
群馬県利根郡みなかみ町藤原
利根郡川場村川場湯原

(武尊山の場所)
川場キャンプ場
コース 
武尊山は北アルプスの穂髙岳と区別するため上州武尊山と呼ばれ、山名は日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説にちなんで付けられたと言われる。今回川場からキャンプ場を通り、高手山、西峰、その先の岩峰を越えて、剣ヶ峰山から武尊山へ登るルートを取った。あいにく剣ヶ峰山から武尊山への稜線の絶景はガスで見えなかったが、岩峰の雄大さや、下山時見た剣ヶ峰山への稜線の美しさは心に残った。山頂はガスで何も見えなかったが、今回の山旅で二回目の一等三角点(点名:武尊山)を踏めて満足する。ロングコースで疲れたがそれ以上に元気をもらえたのは、日本武尊のおかげかも知れない。
 5/19 赤城山(黒檜山)
駒ヶ岳
 
群馬県沼田市利根町根利・桐生市黒保根町宿廻
前橋市富士見町赤城山・桐生市黒保根町宿廻
 
焼き饅頭  赤城山は北から小黒檜山、黒檜山、駒ヶ岳、鈴ヶ岳、地蔵岳、長七郎山、荒山、鍋割山の総称で、その最高峰が黒檜山になる。従って百名山を登る人は黒檜山から駒ヶ岳を周回する人が一般的のようだ。余談だが一等三角点は地蔵岳(点名:赤城山)にある。黒檜山の道は急な岩場がつづくが比較的短時間で登られる。日曜日と言う事もあり、多くの人が登山を楽しんでおられた。またアカヤシオが咲くと聞いていたので楽しみにしていたがもう終わっていた。その代わりにトウゴクミツバツツジが目を楽しませてくれた。黒檜山先の展望地からは上州の山々が良く見えた。下山後大沼を眺めながら名物の焼き饅頭を食べてみたが、小麦粉を焼いてタレを付けたようで、所謂饅頭とは違っていた、隣りの方はビールのつまみに焼き饅頭をお代わりされていた。赤城山と言えば国定忠治のイメージが強いが、今の若者にはハイキングの山かも知れない。
 5/18 日光白根山  群馬県利根郡片品村東小川
栃木県日光市湯元
 
富士山が見えた  男体山を下山して、日光白根山の菅沼(すげぬま)登山口(標高1735m)を下見する。菅沼の奥の駐車場は15台ぐらい、入口駐車場は広く30~40台ぐらいは駐車出来そうだがトイレが無いので、道の駅尾瀬かたしなで車中泊をする。この道の駅は湧き水が出ぱなしで、美味しい水なのでペットボトルに汲みコーヒーを沸かす。翌日6時に登山口に着くと、既に多くの車が駐まっている。登山口から弥陀ヶ池までは標準時間で2時間20分、緩やかに登って行く。弥陀ヶ池から山頂までは1時間強の道程だが、急な岩場もあり混でいたので少し時間が掛かった。関東は犬と一緒に登る人が多く、ラブラドルリトリバーを二頭も連れて登っている人もいた。積雪も残っているので念の為にアイゼンも持って行く。昨日と違い山頂は11℃で無風で暖かい。360度の展望を心置きなく楽しんだ。 
 5/17 男体山  栃木県日光市中宮祠  二荒山大神
祢々切丸
 
熊毛を14日に出発して途中滋賀県の菩提寺PAで車中泊をし、道の駅日光に着いたのが15日の夕方。翌16日は小雨の中、日光東照宮に参拝して、霧で全く見えない華厳ノ滝まで行き、二荒山神社ふたらさんじんじゃの登山客用駐車場で車中泊をする。中禅寺湖では釣り人が遅くまで水に浸かり糸を垂らしている。6時二荒山神社の門が開き、登山通行料1000円を支払い、安全祈願の御札を頂く。男体山は六合目を過ぎた辺りから八,五合目辺りまでガレの急登が続き体力を削られる。山頂に着くと360度の大パノラマが広がり、強風の中寒さも忘れて夢中で展望を楽しむ。中禅寺湖、日光白根山、燧ヶ岳を起点にして、皇海山、会津駒ヶ岳、至仏山、平ヶ岳を同定する。関東平野の南東にぽっんと双耳峰の筑波山が見えた時は北関東に来たのを実感した。山頂には一等三角点(点名:男体山)がある。参考までに中禅寺湖付近にはコンビニがないので、いろは坂を登る前に食料を調達しておいた方が良い。二荒山神社の駐車場は綺麗なトイレはあるが、トイレットペーパーは無く、ポケットティシュは有料。日帰り温泉がコロナで潰れている所が多く、やっと奥日光の湯守釜屋で汗を流した。
 5/5 三本杭
御祝山
 
愛媛県宇和島市野川
宇和島市野川・愛媛県北宇和郡松野町目黒

 
石楠花の大群生地  三本杭は日本三百名山の一座で一等三角点があります。山名は江戸の宇和島藩、伊予吉田藩、土佐藩の境界を示す杭があった事によるそうです。滑床渓谷は奥千畳までは所々に難所があります。奥千畳から熊のコルまでは思ったより歩きやすい道です。熊のコルから三本杭の鞍部までは急でしたが、鞍部から三本杭はすぐでした。三本杭の山頂は風が強かったので、笹の側で風を避けながらランチにしました。一瞬ガスが取れた時に周辺の展望が望めました。御祝山へ向かう稜線は今まで見た中で一番の石楠花の群生地でした。御祝山からは急峻な坂道を長々と降り、滑床渓谷の万年橋に戻って来ました。
 5/4 毛山
尻割山
櫨ヶ森
高月山
 
愛媛県宇和島市野川
宇和島市大超寺奥
宇和島市野川・鬼北町奈良
宇和島市野川・鬼北町奈良
鬼ヶ城山系の最高峰  5月3日瓶ヶ森から下山後、宇和島オリエンタルホテルに宿泊し、市内を散策して名物鯛めしを味わい、結婚記念日を二人で祝いました。宇和島の刺身や焼き鳥も美味しくてビールが進みます。今日は登山予定の篠山を止めて、鬼ヶ城山系の最高峰高月山に登りました。高月山は南に滑床渓谷、北に成川渓谷に挟まれた急峻な山ですが、鹿のコルまで車で上がり楽々登山で4座を周回しました。尻割山からは宇和島市が一望出来きました。この尾根は石楠花が多く、少し盛りは過ぎていましたが充分に楽しめました。 
 5/3 台ヶ森
瓶ヶ森
男山
 
愛媛県西条市西之川丁
西条市東之川乙

西条市東之川乙
アケボノツツジ&
氷見二千石原 
GWの晴天を利用して五年ぶりの四国の山、先ずは未踏の瓶ヶ森へ向ました。台ヶ森のアケボノツツジを見て、瓶ヶ森への時計回りの計画です。前日久万高原町の道の駅天空の郷さんさんで車中泊して、7時開門の石鎚スカイラインで土小屋に着いたら駐車場は既にほぼ満車です。前日からの車中泊や山小屋宿泊客の車もあるのでしょうが、それにしても石鎚山は凄い人気です。UFOラインに入るとカーブの多い狭い道を、対向車やバイクが飛ばして来るので冷や汗ものです。広い瓶ヶ森の駐車場には既に15台程の車がありました。台ヶ森のアケボノツツジは何とか間に合い、瓶ヶ森の氷見二千石原といわれる笹原の雄大さは感動ものです。瓶ヶ森の山頂からは筒上山の右半分が雲に隠れていて趣があります。ガスが取れて伊予富士から寒風山へつづく雄大な山脈が広がっていました。
 4/28 高井山  益田市匹見町紙祖  中国山地の
奥深い山 
昨年に引き続き、高井山にヤマシャク、エビネ、イワカガミを見に行きました。林道に咲いていたヤマシャクは少し早かったが、残念ながらエビネは無くなっていました。その代わり稜線のイワカガミは綺麗に咲いていました。分水嶺からは小五郎山が望めます。稜線からは大神ヶ岳や赤谷山が枝越しに望めます。高井山には三等三角点(点名:光威)があり、周囲が少し掘られていました。少し下ると冠山、寂地山、小五郎山、安蔵寺山が望めます。人工物の見えない中国山地の奥深い山を存分に楽しみました。今日は慌てて出たのでGPSやデジカメを忘れて、携帯でログを取りながら、写真を写したので山頂で電源が切れてしまいました。 
 4/26 旭岳  萩市明木  林道はお宝  とうじ山との旭岳の中間地点に駐めて歩いたので旭岳までは長く、山頂直下まではずっと車道と林道歩きでした。この時期は林道にたくさんのお宝があり、なかなか進めません。旭岳の三角点は雑木藪の中にありました。最近ふとした事で躓きが多くなり、今日も名誉の負傷を負いました。(※奥方にとっては迷惑の負傷で、傷の手当てが大変です)二座登り、久しぶりに長く歩く事が出来ました。
 4/26 とうじ山  萩市明木  嬉しい出会い  萩市明木のとうじ山と旭岳に登って来ました。とうじ山はYAMAPの軌跡を参考にさせて頂き、一升谷から彦六の道を通り峠近くを左に曲がり、最奥民家から尾根を北西に登って行くと、一部膝下程の羊歯があるものの比較的藪を漕ぐことなく登れました。山頂には三等三角点(古戦場)があり、古いプーレトが2つ掛けてありました。展望はありませんが、嬉しい出会いがありました。
 4/25 大高神山  周南市大道理  ハテ?  久しぶりに大道理の芝桜を見て大高神山に登ろうと思い付きましたが、芝桜はもう終わっていました。大高神山登山口から良く整備された道を登ると、約1時間で戦争遺跡のある山頂に着きます。静かな展望地で霞んた周南市を眺めました。
 4/19 高津山  萩市高佐上・片俣 桜からツツジへ  高津山の山名に惹かれて、防長山野へのいざないの概念図を握りしめ登って来ました。くれヶ谷峠から南の尾根を巡り高津山に着きました。前ピークからは笹尾根がつづき分岐に注意しながら慎重に地図を読みながら進みます。ピンクテープがあり大いに助かりました。高津山まで鈍足夫婦の足で約1時間、山頂からは北に木床山や伊良尾山が望めます。下山時蕗を採って帰り、河川公園の東屋でコーヒータイムをして帰りました。
 4/18 嶺山
物見ヶ岳
 
岩国市周東町明見谷・美川町根笠 岩国市周東町明見谷・周東町獺越  黄砂で見えず  昨年県道133号線が明見谷方面からは通行止になっていたので、このルートから物見ヶ岳へ登るのは2年ぶりです。このルートは登山口が528mなので物見ヶ岳とはほんの182mの高低差で、おまけに殆ど林道歩きなので、急な所や危ない所もなく比較的楽に長く歩けます。登りの林道は殆ど藪もなく快適でしたが、降りの林道はコアジサイの枝が伸びて途中まで歩き難くなっていました。残念ながら黄砂がひどくて物見ヶ岳山頂からの景色は殆ど見えませんでしたが、新緑が目を楽しませてくれました。 
 4/13 丸山  益田市高津町  高津・戸田
柿本神社
万葉公園は蟠竜湖や県立自然公園と隣接している広い公園です。その山頂が丸山で二等三角点があります。高津柿本神社は万葉公園の東側にあり、高津柿本神社に参拝して、万葉公園の一部を散策しました。山頂の丸山にある子供広場からは益田の街並みや日本海、比礼振山などが一望出来ます。下山後人麿が生まれたと言われる戸田柿本神社と人麿遺髪塚に参拝して帰路に着きました。帰りに鹿野の金松桜に寄って見ましたが、はらはらと散りはじめていました。
 4/13 比礼振山  益田市乙子町 人麿所縁の地再び  柿本人麿所縁の地を訪ねる旅、第二段として益田市に来ました。人麿も眺めたであろう比礼振山に登り、益田川河口にある人麿終焉の地の一つ鴨島跡展望地を訪れ、高津柿本神社から万葉公園を散策して、最後に戸田柿本神社や人麿遺髪塚にお詣りしました。比礼振山は人麿がこよなく愛した山と言われ、山頂からは益田市の展望が広がります。ふとした事から梅原猛氏の「水底の歌」を読み、万葉の世界に引き込まれて人麿所縁の地を訪ねましたが、1300年前の飛鳥時代の石見の国は果たしてどのような暮らしが営まれ、人麿はどのような景色を見ていたのかと思うと、益々謎が深まりロマンが広がります。
比礼とは古代の女性が用いた両肩からかける布で、振ると波を起こしたり害虫・毒蛇などをはらう呪力があると信じられ、また女性が別れを惜しむ時に振ったりもしました。 
 4/11 鳶岩山  下松市下谷・周南市譲羽  春の恵  3年前に四等三角点(点名:大平)から鳶岩山へ縦走した時に尾根のすぐ下まで林道が登っている事が分かりました。機会がありばこの林道から尾根に上がり鳶岩山へ登ってみたいと思っていました。今回桜と菜の花が一緒に見られる人気の場所の駐車地から妙光禅寺に参拝して林道経由で鳶岩山へ登りました。下山時林道で春の恵を摘んで帰りました。 
 4/8 高角山(島ノ星山)  江津市島の星町 石見相聞歌  温泉津温泉「旅の宿輝曇荘」を出発して江津市の椿の里から高角山へ登りました。高角山は柿本人麿が「石見のや 高角山の 木のまより 吾がふる袖を 妹みつらむか」と歌った山と言われています。以前益田市の大道山・(打歌山うつうたやま)に登った時も、同じ人麿の歌がありました。人麿の見た景色は江津の江の川、都野津柿本神社と、益田の高津川、戸田柿本神社、また浜田説などの説があり、何処に人麿は居たのでしょうか謎が深まります。高角山は一等三角点が座っていて、隕石を祀ったお社もあります。また山頂からは江津市の砂浜や日本海の展望が広がります。下山後、高角山公園で人麿と依羅娘子よさみのおとめの像や石見相聞歌の歌碑を眺め、大崎鼻にも寄って見ました。大崎鼻からは素晴らしい展望が広がっていました。
 4/7 鴨山  島根県邑智郡美郷町湯抱  柿本人麿終焉の地
の一つ
柿本人麿終焉の地の一つと言われている湯抱ゆがかいの鴨山に登って来ました。3年前に刈られた登山道の写真を見て登られると判断したのですが、女良谷川の林道の笹薮はひどくて途中河原に降りました。何とか鴨山の取付に着きましたが、取付きからもの凄い急な崖道を這い上がる感じで、落ちたらタダでは済みません。尾根に上がると今度は笹薮が待っています。やっとこさ鴨山にたどり着きました。下山は安全を考えて北の峠へ向かいましたが、踏跡もない背丈程の大笹薮で、途中で引き返そうかとも思いました。北ルートは高低差がなくて地図を読みながらやっとの事で車道に出ました。人麿辞世 「鴨山の 磐根しまける 吾もかも 知らにと妹が 待ちつゝあるらむ」の歌に惹かれて鴨山に登りましたが、鴨山公園から鴨山を望むほうが良いと思います。鴨山に登られる方はくれぐれも自己責任でお願い致します。
 4/6 高森山  萩市下小川・益田市桂平町  県境の山  山口県と島根県の県境の向山と高森山に向かう途中、竹城山近くの吉見軍と大内軍の戦場のあった小平ケ原(平山)の千人塚の山桜が気になり寄って来ました。樹齢200年は経つと思われる一本桜は満開で、戦死者の霊を慰めているかのようでした。鈴野川から向山に通じる県道124号線が9月末まで通行止めで、やむなく高森山に向かいました。高森山は県道17号線の津和野町と益田市の境の白杭トンネルを通り、益田側から旧道に取付きます。旧道を行くと白杭峠に着きます。峠から北に急坂を登って行くと、三角点があるピークに着きます。そこから急な坂を降り、緩やかに尾根を登って行くと、竹林の広い何処が山頂か分からない高森山に着きます。三角点ピークでランチにして、下山後津和野経由で、人であふれかえる徳佐八幡宮の桜並木を横目で眺め帰路に着きました。
 3/30 妙見山  山口県阿武郡阿武町福田下  田平からのルート  三つ子の魂百までと言いますが、どうも人と同じ事をするのが嫌いなひねくれ者の性格は変わらないらしい。妙見山は「防長山野へのいざない」の著者金光康資氏は東側の林道から登っておられますが、私達は田平から東尾根に上がり、急な坂が少ない南尾根を辿り登りました。尾根道は大藪はありませんが、所々雑木の枝を分けながら登りました。妙見山の四等三角点の東直下には立派な石祠の妙見様が祀られていました。
 3/30 栃原山  山口県阿武郡阿武町福田下  峠からの楽コース  若い時は、急登は何とも思わなかったのですが、年を取るごとに出来るだけ楽に登られる事を考えて、地図とにらめっこしてルートを探しています。栃原山もそんな訳で一番高い県道14号線の418mの峠から登りました。その分距離も長く成りますが、道は意外としっかりしていてハサミの出番も殆ど有りません。展望は有りませんが枝越しに日本海が望めました。山頂には二等三角点(点名:栃原)が座っています。個人的には好きな里山でした。
 3/27 高倉山  萩市下田万・江崎 石祠の主  高倉山に興味を持ったのは、以前YAMAPでみた山頂の石祠の神様が気になっていたからです。多分天神様と思うのですが、ひょつとしたら人麻呂さんかもしれません。一笑に付されるかも知れませんが、山口県北東部には柿木人麻呂の祀られた石祠が多く残っています。益田は柿本人麻呂終焉の地と言われている鴨島に神社が建てられましたが平安時代に地震で沈んだので、海岸の高津松崎に神社が建てられ、その後風化がひどくなり、津和野藩主に寄って高角山に高津柿本神社が建てられました。柿本人麻呂は飛鳥時代を代表する万葉歌人ですが謎が多く、斎藤茂吉や梅原猛(水底の歌)等、終焉の地や亡くなった訳など多くの説がありますが、石見地方では人麻呂さんと呼ばれて愛され、敬われています。
 3/27 官輪山  萩市須佐  飛行機雲  萩市須佐の官輪山は低山ですが、三原から眺めても、上田万から眺めてもなかなか姿の良い山です。防火水槽付近に駐めて、荒林道から官輪山に登りました。林道上部から振り返ると犬鳴山や日本海が望めます。官輪山山頂は三等三角点が座っていました。下山時犬鳴山に飛行機雲が掛かっていました。
 3/22 槙ケ嶽
鹿ケ嶽南峰
鹿ケ嶽北峰
古森ケ嶽
萩市中小川・上田万川
萩市中小川・上田万川
萩市上田万川
萩市中小川
 
中世の山城  先日登った竹城山(平山城)、鎌ケ山(千疋城)他、小川から弥富に掛けては大内氏、吉見氏、毛利氏(益田氏)の中世の山城が多く、戦国時代から江戸時代に至る時代の変遷を経て来ました。今日は萩市中小川にある鹿ケ嶽(城山)へ登り、槙ケ嶽や古森ケ嶽、三角点ピークへ足を伸しました。鹿ケ嶽は吉見氏の中世の山城でしたが、毛利家の重臣益田氏の都濃井筑前守の城となっています。参考させて頂いた城郭放浪記や「第2集防長山野へのいざない 金光康資著P154」にはその経緯が詳しく記載されています。鹿ケ嶽には郭や堀切があり素人目にも山城と分かります。竹城山や鎌ケ山と同様、急な坂が出迎えてくれました。
 3/16 湯野城山  周南市湯野  桜満開、狂い咲き  湯野には登山対象の山として観音岳と城山があります。両山とも良く整備されていて歩き良く展望も良いのですが、山口百名山には観音岳が載っていますが城山は載っていません。そうゆう理由もあり、城山は観音岳に比べると今一つ人気がないようですが、見所も随所にあり、中々急な道がつづき登りがいのあるコースです。広い山頂からは周南市の工場群や瀬戸内海の島々、国東半島が望めます。山頂から望海山に降った所には少し気の早い桜の木が一本満開で咲いていました。 
 3/13 竹城山  萩市上小川西分  千人塚と桜の古木  竹城山の山頂には「平山星の城」という吉見阿波守頼員よりかずの中世の山城が築かれていました。大内義長との戦で、大内方は南西の敵陣ケ嶽に布陣して、その間の平坦地は軍場と呼ばれ、多くの人々が戦死したそうです。この戦の最大の激戦地の小平ケ原には千人塚が3つ残っています。大内の陰謀で平山星城は落城しましたが、厳島合戦で陶晴賢戦死した後に、再び吉見方の城になりました。山中には吉見頼員の墓や星ノ城由来の石碑があります。見所の多い山城で西の敵陣ケ嶽や、南の天守ケ嶽と縦走するのも面白いかも知れません。 
 3/13 鎌ケ山  萩市弥富下
萩市上小川西分
 
思った通りの山行
に満足 
弥富の集落に向かう県道14号線に入ると、険しく聳える鎌ケ山が目に飛び込んで来ます。鎌ケ山は田万川町のおたからマップでは城跡と紹介されていますが、定かではないようです。それは兎も角、山容からして何処から登っても険しそうです。国土地理院の地図を睨んで、一番傾斜の緩そうな谷から取付きました。幸いな事に途中まで林道があり、それから先の棚田跡には踏跡があり、大した労なく鞍部に着きました。しかしここから先一直線の急登が山頂まで続きました。シゴをされましたが楽しい山行になりました。 
 3/13 弥富金比羅山  萩市弥富下  春の恵み  萩市弥富と小川周辺の弥富金比羅山、鎌ケ山、竹城山へ登って来ました。萩市と言っても私にはピンとこず、合併前の阿武郡須佐町弥富、阿武郡田万川町小川と言った方がしっくりときます。弥富金比羅山は、「防長山野へのいざない 金光康資著」には珍しく、山名が特定出来なかったと書いてあります。山頂の金比羅社の御神体は既に下ろされていて、権現社まで足を延ばしました。下山時にフキノトウを見つけて奥方大喜びの山になりました。
 3/9 木ノ井山古墳
国森古墳
石走山古墳
後井古墳
稲荷山古墳
納蔵原古墳
天王原古墳
 
山口県熊毛郡田布施町  田布施町郷土館  山口県の山のレゼンドの皆さんと一緒に田布施の古墳巡りをして来ました。今回のルートは私有地を出来るだけ通ることなく効率良く 、木ノ井山古墳・国森古墳・石走山古墳・後井古墳・稲荷山古墳と巡り、車で移動して納蔵原古墳・天王原古墳を回りました。古墳七ヶ所を見学して、田布施町郷土館で展示物やパネルの説明を係員の方にレクチャーして頂き、とても有意義な一日でした。古代の熊毛王国の夢が益々広がりました。 
 3/7 高鉢山
剣上山
 
大竹市栗谷町谷和
大竹市小方町小方
 
パノラマ展望の連続  大竹市栗谷町谷和周辺には、嵐谷山、権現山、高鉢山、剣上山があり、一度に周回される健脚の方もおられますが、今日は高鉢山経由で未踏の剣上山を周回して来ました。高鉢山、剣上山とも岩山で、パノラマ展望が広がる場所が何ヶ所もあります。広島県の西沿岸の山々や、山口県東部山々、天気が良ければ四国も見えそうな瀬戸内海の景色が広がっていました。今回は出来るだけ林道を利用した楽々ルートにしましたが、分岐が多く一部分かり難い所もあり、何度も止まっては読図をしました。目の高さの枝を切りながら登りましたが、殆ど藪を漕ぐ事はない楽しいルートでした。
 3/2 国森古墳
木ノ井山古墳
石走山古墳
稲荷山古墳
 
山口県熊毛郡田布施町  古墳巡り  以前田布施の後井古墳を訪ねた時に、田布施にある残りの古墳巡りを計画していましたが、情報があまりに少なくGoogleマップを片手に田布施町役場の隣の公園から歩いてみました。標識も殆どなく、登山口が分からずに見当を付けて登りました。国森古墳と、木ノ井山古墳は古墳の跡にお社が建っていました。石走山古墳と、稲荷山古墳はお社と古墳が残っていました。途中に古墳巡りの為の駐車場があり、そこを起点にすれば、後井古墳群も含めて効率良く回る事が出来そうです。国森古墳は4世紀初頭頃の山口県では最古級の方墳。木ノ井山古墳は5世紀頃の円墳で3体の合葬。石走山古墳は6世紀頃の円墳で横穴式石室。稲荷山古墳は6世紀頃の小円墳で横穴式石室。前回訪れた後井古墳群は6世紀末から7世紀初頭の頃で、山口県内では最大級の古墳群。1号墳は円墳、2号墳は前方後円墳、3号墳は1号墳2号墳の約30m下にある古墳からなります。熊毛王国のロマンが広がる古墳巡りでした。
 2/27 陣館山  萩市髙佐下  道頓の山城  陣館山は西の要害ケ嶽と共に大内教幸(道頓)の山城が有ったと言われています。大内教幸は大内盛見の長男であり、弟の大内教弘が家督を継いだ事で反乱を起こした武将です。(大内氏系図参照) 三角点のある頂きから陣館山に掛けては郭や堀切、武者走りなどが見られます。丁度竹林を伐採されている最中で地形が良く分かりました。「防長山野草へのいざない 金光康資氏著」では、要害ケ嶽は松茸山でコースは紹介されていません。 
 2/27 杉原権現山
長沢台
 
萩市紫福
萩市福井上 
牧場地を行く  山陽は陽差しがありましたが、萩に来ると今にも泣出しそうな山陰らしい冬の空模様です。杉原権現山のある杉原集落は十数軒の集落ですが、半分以上は空家のようです。秋葉社の参道は荒れていて石段は崩壊して倒竹を避けて登りました。江戸時代の鳥居や明治に再建された秋葉社が置き忘れられたように建っています。藪を潜って登った権現山には四等三角点(杉原)が岩の間にありました。長沢台の高原は牛が買われていて、広い畑には青々とした牧草が植えられていました。長沢台は林の中に四等三角点(長沢)があります。この辺りは火山活動で出来た台地がたくさんあり、台地ごとに放牧地や耕作地などに利用され、特徴のある活用がされています。 
 2/26 平野山  下松市生野屋・下松市瀬 石観音・六部様  山陽自動車道生野屋第1トンネル手前から取り付き、谷筋の破線道から平野山に登り、石観音に寄って鉄塔尾根から南に尾根破線道を降りました。今日の目的のもう一つの六部様を見学して周回しました。石観音様と六部様と二ヶ所の霊験あらたかな地を巡ってパワーを貰いました。谷筋の破線道は荒れていましたが、下の溜池から林道出合まで永遠に棚田が続きます。尾根の破線道は大変歩きやすく、急な所は九十九折れになって安全に降りれました。六部様は初めてでしたが、建物内部には六部様の由来が書かれた説明文があり、腰から下のを直す霊験あらたかな仏様です。尚広野山は正式山名、平野山にしています。 
 2/24 炭倉山
真名山
万福寺山
莇地山
 
周南市莇地
周南市須々万本郷
周南市須々万本郷
周南市莇地・須々万本郷

 
楽しいコース  炭倉山、真名山、万福寺山、莇地山と反時計回りで登って来ました。周回路は高低差も余りなくて歩きやすく、見所もあり面白いコースです。炭倉山には新しい石碑や米寿を祝った石のベンチが出来ていて、粭島から国東半島が見えました。何気なく登った鉄塔の先の伐採地からは、周南市(旧新南陽市)が一望出来き、何だか得した気分になりました。真名山は反射板から以前は見えていた展望はなくなっていました。万福寺山直下には戦争遺構があり、莇地山からは高圧線の先から緑山、莇ケ岳、弟見山、金峰山、羅漢山、広島県の大峯山、千石岳などが見えました。 
 2/18  高嶽山 萩市川上  ラスボス  萩の両親の陣中見舞いから帰る途中で、川上の高嶽山に登りました。この道路沿いには手前に遠尾、奥に熊ヶ峠山がありますが、一番手強そうな高嶽山が最後になりました。思った通り谷取付きから急で、途中から壁になり、左の支尾根に上がりました。一息入れて見上げると、これから登る踏跡は更に急です。主尾根に上がり前ピークを過ぎると傾斜がゆるみます。高嶽山の山頂は展望はなく、四等三角点は倒木の下にありました。登山帽を忘れたので頬被りで登りました。流石にラスボスは手強かった。 
 2/17  戸板ケ平 萩市紫福  彷徨う  戸板ケ平は先日登った毘沙門山(寺ケ迫)の隣の山で、防長山野へのいざないの概念図では南から急なシダヤブ尾根を登るようになっています。奥方は毘沙門山の急な羊歯尾根が懲りたのか、隣の戸板ケ平に対しても余り良いイメージを持ってないようです。いざないの概念図を見ていると、東の天坪から尾根鞍部近くまで道があり、この尾根に上がれば、羊歯を漕ぐ事もなく戸板ケ平に登られそうです。登りは手探りで迷いながら戸板ケ平に着きました。途中に展望の良い岩があり、尾根道は比較的快適に歩けました。戸板ケ平の山頂で改めて地図を確認すると、南の谷に沿って湾曲に尾根を巡っています。この事をイメージして下山は間違えずに降りました。高低差もなく楽なルートでしたがテープはなく読図が必要です。もし登られるなら下山時の軌跡と時間を参考にしてください。松茸山で秋には登らない方が無難です。 
 2/16 湯谷観音山
大音山
梅津金毘羅山
 
下関市吉田
下関市吉田・美祢市西厚保町原
美祢市西厚保町原
 
立派な石囲い  下関市に所用があり、その帰りに湯谷観音山、大音山、梅津金毘羅山を周回して来ました。三座とも無名峰ですが、観音山には三体の石仏と木仏の安置されている観音堂があります。悪人が通ると岩に挟まると言われるくぐり岩があり、直下の岩の下には大音山から移された稲荷大明神が安置されています。大音山は下関市と美祢市の境の山で地籍図根三角点があります。金毘羅山へ向かう岩の分岐の所が分かり難く、テープに誘われて破線尾根より、右の北東の尾根に降りそうになるので注意が必要です。金毘羅山には金毘羅さんを囲む立派な石垣が積まれています。下山道は倒竹等があり悪路ですが面白い周回路でした。 
 2/12 毘沙門山
(寺ヶ迫)
 
萩市紫福  羊歯の洗礼  毘沙門山は国土地理院の地形図では寺ヶ迫と書かれていますが、防長山野へのいざないには、村史はじめ全て資料が毘沙門山と記されているとあります。毘沙門山の方が山城の山名らしいと思います。また戸板ヶ平とは県道315号線を挟んで対峙しています。防長山野へのいざないの概念図を握りしめて、尾根に取り付き急坂を登って行くと、大岩のあるピークで一旦ゆるみます。膝下程の羊歯尾根を登って行くと、羊歯が消えて再び展望岩まで急坂になります。右手の崩壊地を過ぎて、忠実に尾根を登って行くと、物凄い羊歯で行く手を阻まれます。しかも急でなかなか進めません。靴が脱げるアクシデントもあり、やっとの事で重ね岩に辿り着きました。重ね岩から振り返ると尾根の右手(上から見ると左)に踏み跡がありました。(笑)毘沙門山には大きな岩が幾つもあり、四等三角点(毘沙門)が座っています。岩に上がってみましたが、展望は枝越しに山々が見える程度です。下山は南東に緩やかな尾根を降り車道に降りました。毘沙門山は私達夫婦には難攻不落の山城でした。
 2/12 宗源寺荒人山  萩市福井下  福井下の山城  萩市福井下の荒人山と、萩市紫福の毘沙門山(寺ヶ迫)の山城の二座に登って来ました。荒人山は道の駅ハピネスふくえの北東の東宗集落の背後の山で、その山域の東は長沢台に続いています。山頂周辺には武者走りや、堀切らしき跡があり、山頂から南西に郭があったと思われます。周辺を探索して尾根を降ってみましたが、その他の痕跡はみあたりません。下山後道の駅で昼食にして、本日の本丸、毘沙門山に向かいました。 
 2/10 愚公山鑪山 萩市下田万・益田市飯浦町  愚公山を移す  花咲じじいの独り言のブログを読み、是非一度花の里を訪れてみたいと思いました。花の里に着くと地主さんは居られなかったのですが、山羊たちが出迎えてくれました。これだけの荒地を整備され、登山道を作られたのは、正に「愚公山を移す」の精神です。愚公山の先からは益田市の持石海岸から魚待の鼻の海岸線が望めます。鑪山に向かう途中からは遊歩道で、三等三角点(宇生)のある東屋で須佐の高山を眺めながら昼食にしました。林道宇生線を歩いて行くと、所々から日本海が望めます。道の駅ゆとりパークたまがわにデポした車で花の里まで戻ったのですが、地主さんにはお会い出来ず、田万川温泉で汗を流して帰路に着きました。このコースは車道歩きが長くなるので、コース取りを考えて花の里から三等三角点まで行き、林道宇生線を周回して海岸線を見ながら花の里に戻る方が良いと思います。 
 2/8  羽丸山 萩市笹々並   ハマル  御茶山は萩市笹々並の東の山で何の変哲もない里山ですが、山名に惹かれて登って来ました。林道終点から谷沿いを進み、沢を渡り左の谷に入ります。すぐに尾根と谷に分岐しますが、尾根道を登り支尾根出合から鞍部に降り、北に登って行きます。下山は鞍部から谷を降りました。枝の被さる所もあり所々枝を切りながら登りましたが、羊歯もなく比較的快適に歩けました。途中分岐が何ヶ所かあります。登りは簡単ですが、下山時には間違えやすいので注意が必要です。山頂は展望はなく、少し広くなっていて三等三角点が座っています。 
 2/8  御茶山 萩市笹々並  山名に惹かれて  御茶山は萩市笹々並の東の山で何の変哲もない里山ですが、山名に惹かれて登って来ました。林道終点から谷沿いを進み、沢を渡り左の谷に入ります。すぐに尾根と谷に分岐しますが、尾根道を登り支尾根出合から鞍部に降り、北に登って行きます。下山は鞍部から谷を降りました。枝の被さる所もあり所々枝を切りながら登りましたが、羊歯もなく比較的快適に歩けました。途中分岐が何ヶ所かあります。登りは簡単ですが、下山時には間違えやすいので注意が必要です。山頂は展望はなく、少し広くなっていて三等三角点が座っています。 
 2/2  紫福嶽山  萩市紫福  日本海の胸の空く
展望 
紫福の嶽山は紫雲山の北西にある山で、この山の魅力は何と言っても巨岩展望地からの日本海の眺めです。大井の町の沖には大島など萩の島々(六島村)が点々と浮かんでいます。振り向けば遠岳山などの山々が望めます。嶽山は三等三角点(点名:紫福)あり、落ち着ける山頂です。今回反時計回りで歩きましたが時計回りだと、尾根に上がるまで一直線の急登が続きます。  
 1/29  黒石山
 湯野観音岳
周南市湯野   河井集落から  河井集落から黒石山へ登り、観音岳へ縦走しました。黒石山から作業小屋へ降り、峠に上がり観音岳を目指しましたが、この道は支尾根が多く、所々にテープが付いていますが読図しながら歩きました。観音岳からは石ヶ岳、千石岳、金峰山、四熊ヶ岳、平野山(嶽山)などの周南市東部の山々や瀬戸内海が望めます。また観音岳は江戸時代に黄金の観音さまが発見された事でも有名です。下山は羊歯ピークを巻いて最短距離を引き返しました。峠から破線を降りる予定でしたが、地図も見ずに北に向かう巻き道を降りました。この道も途中から難易度が上がり、方向に注意して棚田跡から車道に降りて来ました。黒石山、観音岳、高黒石、松尾山などの山域はコースを変えて楽しめます。 
 1/27  黒石山 周南市湯野  エスケープ  久しぶりに黒石山から高黒石にピストンの予定でしたが、461m付近で空模様が怪しくなり、エスケープ道で県道169号線に降りて引き返しました。黒石山は湯野観音岳の北に位置する山で展望はありませんが何となく惹かれる山です。観音岳や高黒石などに周回するとロングコースを歩けます。東にある藤ヶ本集落は限界集落から消滅集落になりつつありました。以前藤ヶ本集落で声を掛けてくださった方はお元気でしょうか。山里の集落の宿命かも知れませんが寂しい限りです。
 1/26  Ⅳ等(点名:法事峠) 岩国市周東町三瀬川・周東町獺越   陣古屋合戦 梅ノ木山下山後どうしても行って見たい所があり、地元の歴史に大変詳しい山友さんにお付き合いして頂き、「陣古屋古戦場」のある法事峠ぼうじとうげ(傍示峠)に向かいました。陣古屋古戦場は毛利軍と大内軍の戦いで、籠城した大内軍が米を捨て兵糧米が潤沢にあることを毛利軍に見せつけたそうです。陣古屋合戦は引き分けで、毛利軍は西進して須々万の大内の沼城を攻めたと教えて頂きました。また法事峠は北の根笠川と南の東川の分水嶺で、以前は川越中学校があり、現在は周東野外活動センターに変わっていました。山友さんも通われていたそうで懐かしそうでした。折角なので用意していた地形図を出して、四等三角点(点名:法事峠)への登山を提案したら快く同意して頂けた。大変パワフルな先達で頭が下がります。 
 1/26  梅ノ木山  岩国市周東町上須通・獺越 雪景色  地元の山友さんと一緒に梅ノ木山に登って来ました。梅ノ木集落の北の無名峰ですが、山頂には四等三角点がありました。
 1/23~24  竜王山 山陽小野田市小野田  西国十二支会  日本列島に今年一番の寒波が到来して雪が積もり、美祢市の龍護峰で行う予定の西国十二会が、急遽山陽小野田市の竜王山に変更になりました。KKR山口あさくらでの前夜祭では、昨年の山行の思い出や、今年の抱負の後に、歌や詩吟などで大いに盛り上がり、時間延長の楽しい会になりました。竜王山で食べた豚汁の美味しかった事、一生忘れないでしょう。KKR山口あさくらの温泉が気持ち良くて長湯してしまい、初めて湯あたりしてしまったのも苦い経験になりました。 
 1/17  水ノ尾山  岩国市錦町広瀬 笹薮がない  昨年の12月に水ノ尾山と平家ヶ岳の笹薮が刈られたのを知り、水ノ尾山初登山の奥方のリクエストに応えて登って来ました。水ノ尾山は山口県百名山の中ではダツヤ山と並び藪山の横綱で、過去単独で2回登った時は、藪漕ぎと熊の脅威で登るのに一生懸命でした。今回綺麗に笹が刈られていて、普通の里山に変わって拍子抜けの感がありましたが、登山道が見えて意外に急な事に気が付きました。山頂は広く刈られていて、落ち着いて食事が出来ました。水ノ尾山未踏の方は今がチャンスですよ。(笑)
草刈りをして下さった風車番さんありがとうございました。草刈り機を担いで登られいる姿をみるとやはり超人ですね。また恐羅漢山にも遊びに行きます。 
 1/14  鹿野烏帽子岳  周南市鹿野上  荒神様 城山、権現山、そして烏帽子岳は山口県ではお馴染みの山名です。今日は昨日登った岩屋山の隣の鹿野烏帽子岳に登って来ました。健脚の方なら充分二座登られると思います。南の尾根から取付き、西尾根を降りました。実は2019年に逆ルートで登った事があるのですが、以前に比べて登山道が整備され、岩尾根には鎖やロープがあり、大変登り安くなっていました。山頂近く大岩の前に石祠があり、以前地元の方が「この山は荒神さまが祀られ、悪さするから登らん方が良い」と言われた事を思い出しました。烏帽子岳の山頂には三等三角点(点名:烏帽子岳)があり、金峰山、千石岳、石ヶ岳、莇ヶ岳、弟見山、馬糞ヶ岳が枝越しに望めます。地元の方の人の言われる事は素直に聴くもので、帰宅すると台所の排水管が水漏れしていました。 
 1/13  岩屋山  周南市鹿野上  ライオン岩 鹿野の市街地から県道12号線を石船温泉や長野山へ向かうと、烏帽子岳の俊英な山容が見えて来ます。その少し先の左手にライオンにそっくりな大岩が圧倒的な存在で現れます。ライオンの鼻の上の穴の所が観音堂の奥の院で、如意輪観音、不動明王、弘法大師、観音菩薩が安置されています。岩屋山はライオンの頭の大岩の所で、気が付かずに通り過ぎてしまう人も多いと思います。一旦降り登り返すと550mのピークに着きます。山頂にはブランコがあり、日の丸が掲げてあります。木で作ったベンチに座ると、北東に長野山から馬糞ヶ岳の展望が開けます。南西には千石岳、白井山、西には石ヶ岳の展望が望めます。下山は西尾根をせせらぎパーク鹿野の方へ降りましたが、途中には展望岩があり、鹿野の町や周辺の山々、山頂からは見えなかった金峰山などが一望出来ました。登山道が変化に富み、展望のある楽しい山歩きでした。 
 1/11  稗田山  岩国市六呂師 ランチャー台からの大展望  高照寺山の北に稗田山と言う山が、「第3集 防長山野へのいざない 金光康資著 P387」の概念図に載っています。以前東から柳ヶ谷山、奥畑山、高照寺山と歩いた時に、北の稗田山が気になっていました。地形図を眺めながら、叶木集落から登りました。峠から入り尾根に取付き、少し枝を切りながら南に尾根を登って行くと、藪もなく思っていたより簡単に稗田山に着きました。稗田山は四等三角点があり、仮称叶木岳の標識が掛けてありました。展望がないので、高照寺山のランチャー台まで足を伸ばして、山口県東部の大展望を眺めながら至福の時を過ごしました。 
 1/9  夫婦岩山
 平家ヶ城
 三丘城山
 周南市清尾   三丘の山 東方面の遠征から中国自動車道で竜ヶ岳トンネルを抜けると、左手に三丘の田園風景が見えて、熊毛へ帰って来たなあと思います。三丘城山、平家ヶ城、夫婦岩山は島田川を挟んで三丘の北に連なる山並で、低山ながら急峻な山道が続きます。地元の山なので一応全てのルートから登った事はあるのですが、久しぶりに登ると、こんなに急だったのかと改めて思います。夫婦岩は麓からも良く見え、熊毛八景の一つで、高水神社の奥社院になります。平家ヶ城は三丘城山の西に位置する山で、山城の一担を形成していたようです。三丘城山の平らな山頂からは以前見えていた玖珂盆地や、竜ヶ岳の展望が枝越しに見え隠れする程度になっていました。また山麓の淡海道は、毛利家に因んだ遺跡があり、歴史好き必見のコースです。
(2013年1月23日の記録参照)
 1/5  岩国山
 水晶山
 平家山
 岩国市錦見・瀬戸
 岩国市室の木

 岩国市室の木
 吉川広家公像 吉川広家公の銅像が吉香公園に出来た事を知り、岩国山から水晶山、平家山への縦走登山と合わせて岩国へ向かいました。岩国山と、水晶山、平家山は以前別々に登った事はあるのですが、一度縦走したいと思っていました。その場合の下山後の交通手段がネックになっていたのですが、岩国バスを使う事に気が付き決行しました。岩国山は北側の山々が枝越しに見える程度ですが、その先の鉄塔からは岩国市が一望出来ます。桜ヶ峠、大谷峠を越えて、水晶山でゴルフの練習を見ながらランチにしました。平家山からは今日一番の岩国市の大展望が広がります。この縦走路は大変歩きやすく、ランの方にも出会いました。 
 1/4  一本松    岩国市周東町差川 AGAIN 我が家の正月が終わり、ゆっくりしたいと言う奥様を残して、年末登った一本松の他のルートが気になり、早々に登って来ました。今回は急がば回れで、林道終点から南尾根に上がり、山頂直下の米川村石杭の所に登りました。広い山頂でランチにして、下山は西尾根を降り、伐採地から林道に降りました。暮れに登ったルートより急でなく、林道途中からは大津茂山、烏帽子岳の展望、伐採地からは樽山、物見岳の展望が望めました。
 1/1  虎ヶ岳  周南市大河内・光市三井  初日の出 4歳、8歳、10歳の孫と長女、次男と一緒に虎ヶ岳から初日の出を拝みました。山友さん達と新年の挨拶を交わして、雲間に上がる日の出を眺めながら、平和な年になる事を願いました。