比礼振山(ひれふりやま) 359m

益田市乙子町



万葉公園から望む


2024年4月13日(土) 天気 晴れ


惣八幡宮(9:10)~55分~佐毘売山(さひめやま)神社(10:05~10:10)~20分~比礼振山(10:30~10:56)~

35分~分岐(11:31)~14分~鉄塔(11:45)~19分~車道出合(12:04)~9分~惣八幡宮(12:13)

所有時間 3時間3分


概念図

 

惣八幡宮



柿本人麿所縁の地を訪ねる旅、第二段として益田市に来ました。人麿も眺めたであろう比礼振山に登り、益田川河口にある人麿終焉の地の一つ鴨島跡展望地を訪れ、高津柿本神社から万葉公園を散策して、最後に戸田柿本神社や人麿遺髪塚にお詣りしました。比礼振山は人麿がこよなく愛した山と言われ、山頂からは益田市の展望が広がります。ふとした事から梅原猛氏の「水底の歌」を読み、万葉の世界に引き込まれて人麿所縁の地を訪ねましたが、1300年前の飛鳥時代の石見の国は果たしてどのような暮らしが営まれ、人麿はどのような景色を見ていたのかと思うと、益々謎が深まりロマンが広がります。
比礼とは古代の女性が用いた両肩からかける布で、振ると波を起こしたり害虫・毒蛇などをはらう呪力があると信じられ、また女性が別れを惜しむ時に振ったりもしました。



道しるべ


登山口(マウスをおいて)
  惣八幡宮にお詣りして、標識に従い北に比礼振山に向かう。登山口の標識から車道から山道に入る。

右へ
  そのまま巻道を行き、テープの所から右に曲がり、左下に谷を見ながら巻道を登って行く。
  やがて右の浅い谷に代わり、登って行くと・・・

右手からの道
  右手にテープがあり道がある。(下山時はここから降りてみた)鉄塔に寄って尾根を降って行く。
  左の巻道を登って行くと作業小屋がある。作業小屋の先からは車道になる。

分岐の所の標識

佐毘売山神社(拡大可)
  車道を行くと分岐する。分岐を右に曲がった所に比礼振山1,3㎞の標識がある。登って行くと佐毘売山神社がある。

比礼振山
  車道が急になり左に曲がり登って行くと、都茂街道(岩清水800m)の標識がある。こちらから登って来る人も多い。
 三日月岩を過ぎると、すぐに比礼振山に着く。

比礼振山

説明板(拡大可)

蔵王権現(拡大可)
  先に蔵王権現にお詣りして行く。説明板には「人麿も雪舟もこの山をこよなく愛して・・・」と記載されている。

展望所(拡大可)

益田市(拡大可)
  鉄塔の横の小高い笹の中には三等三角点(点名:権現山)がある。展望所からは西に益田の市街地が望める。
 
 西の展望 / 益田市の先に須佐の高山や大道山も見える

分岐
  鉄塔付近の分岐から東(左)の道を降りて見る。谷に向かって道はつづいている。やがて中電標柱があるので登ってみたが
 鉄塔は行き止まりで展望もない。中電標柱まで戻り谷を降って行く。

中電標柱から振り返る
  谷を降って行くと、古い木段も残っているが、アオキなどが伸びているので余り歩かれてないようだ。やがて益田川が下に見えると
 中電標柱から車道に出る。

惣八幡宮駐車地

拡大可
  比礼振山登山口の標識を過ぎて、惣八幡宮に戻って来た。下山後、益田川河口にある人麿終焉の地、鴨島跡展望地に行って
 見る。

拡大可

拡大可

拡大可
  柿本人麿終焉の地はここの他に「浜田鴨山説」「江津市神山説」「邑智湯抱説」があるので浜田にも行かねばなるまい。(笑)


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