丸山 56m
益田市高津町
丸山山頂・二等三角点(点名:高津)
2024年4月13日(土) 天気 晴れ
高津柿本神社(13:00)~23分~丸山(13:23~13:57)~13分~和風休憩所(14:10~14:16)~7分~高津柿本神社P(14:23)
所有時間 1時間23分
概念図
万葉公園は蟠竜湖や県立自然公園と隣接している広い公園です。その山頂が丸山で二等三角点があります。高津柿本神社は万葉公園の東側にあり、高津柿本神社に参拝して、万葉公園の一部を散策しました。山頂の丸山にある子供広場からは益田の街並みや日本海、比礼振山などが一望出来ます。下山後人麿が生まれたと言われる戸田柿本神社と人麿遺髪塚に参拝して帰路に着きました。帰りに鹿野の金松桜に寄って見ましたが、はらはらと散りはじめていました。
道しるべ
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高津柿本神社に参拝する。柿本神社楼門由緒の説明板を丁寧に読む。 |
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人麿辞世 「鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」の石碑がある。梅原猛教授の人麿終焉の地の 鴨島海底調査の説明板は特に入念に目を通す。 |
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高津柿本神社拝殿(拡大可) |
本殿(拡大可) |
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高津柿本神社を修復した亀井藩主が毎朝拝殿するために高津柿本神社は津和野を向いている。 |
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高角山と打歌山は同じ山とも言われているが・・・? 歌が二首あるとは違う山か・・・? |
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和風休憩所(拡大可) |
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万葉公園へ向かうと和風休憩所があり、人麿の資料がある。 |
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やすらぎの家 |
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休憩所から丸山へ向かう。やすらぎの家は食堂。 |
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万葉公園の一番高い所が丸山になり、子供広場になっている。子供の賑やかな声が広がる。 |
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木陰のベンチでランチにしながら展望を楽しむ。左手に日本海、中央には益田の街並み、右手には比礼振山が見える。 |
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比礼振山 |
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石見は石州瓦の家が多い。 |
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万葉公園から高津柿本神社に戻り、戸田柿本神社に向かう。 |
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戸田柿本神社の説明板(拡大可) |
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この地は柿本人麿の生まれた地と言われるが、一説には人麿は百済の渡来人と言う説もあり、私はこの説は有力だと思う。 万葉集は漢字で書かれているが、人麿の歌には枕詞が多い。枕詞に隠された意味や地名や漢字の当て字から表に読まれている 歌と違う、当時の政権を批判した内容が古代朝鮮で使われていた漢字に隠されている。 |
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戸田柿本神社(拡大可) |
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戸田柿本神社参拝後、100m離れた人麿遺髪塚を拝み帰路に着いた。梅原猛は「水底の歌」で柿本人麿=柿本佐留=柿本猨 =猿丸太夫と展開している。人麿は人丸とも言われているが、人丸が無実の罪を着せられて、鴨島で水死刑に処せられ、 猿丸に名を変えられて、卑しめられた可能性がある。無実の罪の人麿の祟りを恐れて、神社を建て、官位を上げて、万葉集に 多くの歌を載せたとの話は実に興味深い。 |
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以前登った大道山(打歌山)は、戸田柿本神社からも近い。益々謎が深まる。機会を作って浜田にも行ってみたい。 |