高山城址(たかやま) 70m

岩国市通津



吉川広家終焉の地にある碑


2022年12月18日(日) 天気 晴れ


駐車地(10:46)・北登山口(10:48)~8分~高山城址(10:56~11:00)~6分~南登山口(11:06)~8分~駐車地(11:14)

所有時間 28分


概念図

 

高山城址北登山口



高山城址は通津川の北にある小さな山で、地元の方の協力で遊歩道が整備されています。山頂には東屋があり、桜が植えてあり、瀬戸内海の展望が開けます。また三重堀切などが残っていて山城の体を成しています。近くに吉川広家の終焉の地があり下山後見学しました。



道しるべ


北登山口

三重堀切
  駐車地を探すがなく、短時間なのでNTTドコモ通津基地局に駐めさせて頂く。車道を降って行くと、岩国むつみ幼稚園の対面に
 高山城址遊歩道の案内板がある。木の葉の下には階段があり、登って行くと三重堀切がある。

高山城址

高山(点名:高山)

東屋
  三重堀切を過ぎると前方に東屋があり、手前には四等三角点が座っている。ここが高山山頂になる。

拡大可

瀬戸内海
  山頂南には祠と鳥居がある。瀬戸内海を眺め、南に降って行く。

高山城址
  南の遊歩道のほうが緩やかだ。降って行くと通津の町が見えて来る。

南登山口

南登山口を振り返る

NTTドコモ通津基地局
  南登山口にも高山城址の案内板がある。駐車地まで戻り、通津川の左岸を上流に車を走らせ、吉川広家終焉の地へ向かう。

吉川広家終焉の地(拡大可)

拡大可
  吉川広家は吉川元春の三男で幼ない時は父から「うつけ」とよばれていた。関ヶ原の合戦では南宮山に布陣して、毛利軍を
 動かさなかった。家康の関ヶ原の勝利は、広家に負うところが大きい。広家については「うつけの采配」中路啓太著が面白い。



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