女子道と二所山田神社
二所神社は、旧称を二所大明神といい、社伝によればは昌泰2年(899年)の創建である。弘長2年(1262年)の社録に「二所二俣神社」と記載されており、『延喜式神名帳』に記される「周防国都濃郡 二俣神社」の論社の一社となっている(他に論社が2社ある)。大内氏が元亨元年(1321年)に社房を建立し、毛利氏は御祈祷所に指定している。明治初年には郷社に列格した。
山田神社は、旧称を山田権前社という。伊勢国山田から勧請を受けて創建されたと伝えられ、『文徳実録』元慶2年6月23日条に「周防国正六位上赤田神山田神并授従五位下」と記載される国史見在社である(ただし、この「山田神」については大島郡周防大島町の山田神社も論社となっている)。明治初年には村社に列格した。
明治40年(1907年)に二所神社と山田神社が合併し、現社名になった。
明治時代の当社宮司・宮本重胤は、女性の自立のための全国組織「敬神婦人会」を設立した。明治39年(1906年)にその機関誌『女子道』を発刊し、その資金源としておみくじの製造が開始され、現在はトップシェアとなっている。また、おみくじの自動頒布機を考案したのも同社である。
ウィキペディアより