郡山城跡 390m

安芸高田市吉田町吉田



展望台に掲げられた毛利家の家紋「一文字三星」


2020年9月20日(日) 天気 晴れ


歴史民俗博物館(8:30)~22分~毛利元就墓所(8:52~9:00)~34分~本丸(9:34~9:39)~5分~勢溜の壇(9:44~9:52)

~21分~旧本丸(10:13~10:27)~13分~展望台(10:40)~12分~清神社(10:52)~14分~歴史民俗博物館(11:06)

所有時間 2時間36分


概念図

 


安芸高田市歴史民俗博物館


豊平どんぐり村から安芸高田市吉田町の毛利家の居城のある郡山に向かいました。歴史民俗博物館はAM9:00から開館なので、先に郡山城跡を登る事にします。戦国期最大級の山城で、見所が多いので、パンフレットを見ながら効率良く登って行きます。下山後歴史民俗博物館で展示物や貴重な資料を見学しました。



道しるべ


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  安芸高田市歴史民俗博物館にある「郡山城跡案内図」を確認して、登山道を確認する。敷地右の角にガイドブックがあり、登山ルート
 が書かれている。
 

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  まず毛利元就公に挨拶して行く。史跡郡山城址の石碑の横に、郡山城跡の説明板がある。天文九年(1540年)尼子晴久の3万の大軍
 を小勢の毛利軍が退けた山城だ。大通院谷遺跡は公園になっている。

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  大通院谷遺跡からは、尼子軍が陣を張った青山(左)と光井山(右)が望め、郡山合戦と言われる。毛利元就の墓所は、毛利一族
 の墓と、一番高所に元就の墓がある。最近の風雨で枝が折れて、墓の周辺に散らばっていたは残念だ。
  元就は築城の際、人柱の代わりに、「百万一心」の石柱を埋めたと言われている。また百は一ノ日に、万は一ノ力に、分解され
 一ノ心と併せて、「日を一つにして、力を一つにして、心を一つにすれば、出来ないことはない」という意味を表している。百万一心
 の石碑の横から、郡山城本丸跡に登って行く。途中元就が吉田に招きいれた嘯岳禅師の墓所を通り、山道を登って行く。

御蔵屋敷跡

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  やがて本丸の下の御蔵屋敷跡に着く。ここから反時計回りに本丸の下の壇を歩いて行く。

釣井の壇

二の丸跡

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  井戸のある釣井の壇、姫の丸壇、釜屋の壇、厩の壇と回り、三の丸、二の丸を経て本丸跡に登る。

郡山城本丸跡

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本丸跡
  本丸は標高390mで、高低差200mの所にあり、本丸から12の尾根と谷が複雑な地形を成している。曲輪は270段以上もあり、
 この山城の巨大さが伺われる。

勢溜の壇
  本丸を後にして、郡山公園に降りて行く。本丸守護の兵が滞在していた勢溜の壇の先からは、吉田町が見える展望所があるが、
 下の展望スポットの方が展望は良い。

展望スポット
  山道を降りて行くと、尾崎丸堀切があり、その下に展望スポットがある。その先に旧本丸への分岐があるので、旧本城に寄って行く。

旧本城

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郡山公園
  旧本城は元就が郡山全体を山城にするまで、十一代約190年間毛利氏が居城にした場所だ。毛利の家紋の幕が掲げてある展望台
 を降りて、清神社の方に降りて行く。

郡山公園

清神社
  郡山公園からは展望台の家紋の巨大幕がよく見える。清神社にお詣りして。見過ごした三矢の訓跡の石碑に寄って歴史民俗博物館
 に帰って来た。歴史民俗博物館を見学して、元就の次男吉川元春、孫の広家の居城のある日山(火野山)に向かった。



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