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安芸高田市歴史民俗博物館にある「郡山城跡案内図」を確認して、登山道を確認する。敷地右の角にガイドブックがあり、登山ルート
が書かれている。
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まず毛利元就公に挨拶して行く。史跡郡山城址の石碑の横に、郡山城跡の説明板がある。天文九年(1540年)尼子晴久の3万の大軍
を小勢の毛利軍が退けた山城だ。大通院谷遺跡は公園になっている。
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大通院谷遺跡からは、尼子軍が陣を張った青山(左)と光井山(右)が望め、郡山合戦と言われる。毛利元就の墓所は、毛利一族
の墓と、一番高所に元就の墓がある。最近の風雨で枝が折れて、墓の周辺に散らばっていたは残念だ。
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元就は築城の際、人柱の代わりに、「百万一心」の石柱を埋めたと言われている。また百は一ノ日に、万は一ノ力に、分解され
一ノ心と併せて、「日を一つにして、力を一つにして、心を一つにすれば、出来ないことはない」という意味を表している。百万一心
の石碑の横から、郡山城本丸跡に登って行く。途中元就が吉田に招きいれた嘯岳禅師の墓所を通り、山道を登って行く。
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御蔵屋敷跡 |
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やがて本丸の下の御蔵屋敷跡に着く。ここから反時計回りに本丸の下の壇を歩いて行く。
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釣井の壇 |
二の丸跡 |
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井戸のある釣井の壇、姫の丸壇、釜屋の壇、厩の壇と回り、三の丸、二の丸を経て本丸跡に登る。
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郡山城本丸跡 |
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本丸跡 |
本丸は標高390mで、高低差200mの所にあり、本丸から12の尾根と谷が複雑な地形を成している。曲輪は270段以上もあり、
この山城の巨大さが伺われる。
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勢溜の壇 |
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本丸を後にして、郡山公園に降りて行く。本丸守護の兵が滞在していた勢溜の壇の先からは、吉田町が見える展望所があるが、
下の展望スポットの方が展望は良い。
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展望スポット |
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山道を降りて行くと、尾崎丸堀切があり、その下に展望スポットがある。その先に旧本丸への分岐があるので、旧本城に寄って行く。
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旧本城 |
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郡山公園 |
旧本城は元就が郡山全体を山城にするまで、十一代約190年間毛利氏が居城にした場所だ。毛利の家紋の幕が掲げてある展望台
を降りて、清神社の方に降りて行く。
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郡山公園 |
清神社 |
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郡山公園からは展望台の家紋の巨大幕がよく見える。清神社にお詣りして。見過ごした三矢の訓跡の石碑に寄って歴史民俗博物館
に帰って来た。歴史民俗博物館を見学して、元就の次男吉川元春、孫の広家の居城のある日山(火野山)に向かった。 |