臥牛山(備中松山城) 487m
岡山県高梁市内山下
展望台からの備中松山城
2024年11月12日(火) 天気 快晴 雲海
松山城展望台(8:27~8:30)~46分~備中松山城(天守・二重櫓・石垣)(9:16~10:17)~15分~臥牛山(10:32)
~11分~大松山城跡(10:43~10:47)~10分~堀切(10:57)~30分~松山城展望台(11:27~11:30)
所有時間 3時間3分
(YAMAP平均ペース 標準)
概念図
以前テレビで備中松山城のドキュメントを放送していた。内容は下記の通りで、大変興味を持ち是非一度、雲海に浮かぶ松山城を見て見たいと思った。晴天の日を選び、時間を見計らって松山城展望台へと向かった。残念ながら望遠の撮れるコンデジを修理しているので、携帯だとこれが精一杯の拡大になるが、松山城は正に雲海に浮かんでいた。猫城主の「さんじゅうーろー」殿にも拝謁出来て大満足の日だった。
明治6年(1873年)、廃城令が公布され、御根小屋は取り壊された。山城は新政府によって7円(現在の約5万円)で商家に売却された。しかしあまりにも不便な場所にあることから山上の建物は解体されずに放置・荒廃が進み、天守はツタが生い茂り崩壊寸前、天守脇にあった八の平櫓にいたっては倒壊した。昭和初期、高梁中学校教諭の信野友春が山城を調査しその詳細な記録を『備中松山城及其城下』に著し刊行する。信野の著書を契機に山上の建物が修復の機運が高まり、修復のために高梁町によって1万8000円の予算が組まれた。昭和5年(1930年)より二重櫓、天守の順で修理がなされた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
道しるべ