三丘城山 319m  平家ヶ城 300m

周南市三丘



平家ヶ城から城山を望む 「クリックで山名」


2013年1月23日(水) 天気 曇り 単独


START~55分~三丘城山~15分~平家ヶ城~15分~中山峠~30分~淡海和尚碑~25分~元就歯廟~25分~GOAL

周遊時間 2時間45分


概念図


map

この辺りの路肩に駐車


午後所用の為、朝ドラの【純と愛】をママに録画してもらい、昨年の宿題、三丘城山に向いました。以前玖珂17を潜り、登った道が急だったのを覚えていましたが、慌てて出た為、スティクを忘れて来ました。登山口で棒切れを杖代わりに登った山頂からの景色は、玖珂盆地に朝靄がたち込めて、忘れがたい風景となりました。



道程

三丘の町を通り越し、県道144号(光玖珂線)を玖珂方面に向うと、左手にこれから登る三丘城山が見えてくる。右手に
黒岩峡入口の看板が見えて50mぐらい先に、左に入る道がある。島田川に架かる筏場橋を渡ると、T字交差点に着く。
正面に毛利元就の歯廟や、宍戸家墓所などの説明看板がある。そこを左折して進んでいく。千手観音菩薩を見ながら、
細い車道を注意して運転していく。
貞昌寺の横の道を進んでいくと、急に道幅が広くなる。路肩に駐車して、家の横を上がっていく。すぐにT字になるので、
右折して、前方に竜ヶ岳を見ながら進む。すぐに左手に【玖珂17】と書いた山陽自動車道を潜るトンネル道がある。
GPSも長いトンネルの中は、電波を拾わないようだ。潜り抜けると、数台停めれる広い駐車スペースがあるので、ここに
停めても良い。
石仏に見送られて、古びた城山の道しるべに従って山に入っていく。突き当りを左に登り山道に入っていく。段々シダに
蔽われた道になるが、踏み跡はしっかりしている。山道から10分も登ると、右手に城山が顔を出し、5分も歩くと分岐になる。
ここは右に登っていく。赤いテープと城山と書いた紙が木に巻きつけてある。分岐からすぐに、西の展望が開ける50番の
鉄塔が見える。広末コースはあの鉄塔の稜線を登っていく。
シダ道を登り、左手に三丘の町が見えてきたらもうひと踏ん張りだ。ロープに摑まりよじ登っていくと、展望岩に着く。
展望岩からは、西に夫婦岩山から51番鉄塔を経て平家ヶ城への稜線、遠くに大華山が見える。【写真左】南に三丘の町や、
東に竜ヶ岳から札ノ尾山の稜線が見える。山陽自動車道を走る車が、竜ヶ岳トンネルに消えていく。
展望岩からすぐに城山山頂に着く。山頂からは、玖珂盆地が朝靄に霞んでいる。蓮華山が一際高い。
山頂での景色もそこそこに、平家ヶ城へ向う。山頂直下の急坂をロープに摑まり降りて行く。平家ヶ城の後ろに烏帽子岳
が見える。そのまま下りると谷に降りて行くので、左の道を意識しながら下りていく。登りかえすと夫婦岩山から平家ヶ城の
稜線に出る。ここを右に登り平家ヶ城に向う。
昨年、小さく城山と書いた文字と見逃し三丘城山と言う宿題を残した。分岐からすぐに四等三角点の平家ヶ城に着く。
平家ヶ城から東の展望、ここから見える山々は御馴染みさんだ。
南の展望は三丘の山並が見える。近いうちに荒瀬山~高塔山~天登山を縦走したい。

 竜ヶ岳から蓮華山


竜ヶ岳から大黒山の稜線
遠くに塔ヶ森、高照寺山

朝靄の玖珂盆地
正面に蓮華山
平家ヶ城を後にして、中山峠へ下る。52番鉄塔の後ろに烏帽子岳が広がる。15分で中山峠へ着く。この道は中国電力の
循環路で良く整備されている。
中山峠は岩国市(玖珂郡)と周南市(熊毛郡)の境だ。淡海道を目指し東に進む。すぐに、御駕籠建場跡の説明板がある。
しばらく行くと、こんどは、猿田彦を祭っている賽神社がある。
養鶏所を過ぎて行くと、地図とは違うが、旧山陽道の道標があるので、その道に入る。段々、道が怪しくなるが進んでいくと
丸子坂と書かれた道に出た。ここで右に進み迷走。淡海道は島田川沿いなので、再び丸子坂まで引き返して、良く見ると、
南に道が見える。
南に歩いていくと、すぐに差川橋が見えてきた。淡海道も見える。島田川沿いを歩いていたら、第一村人発見、早速
淡海和尚 の碑はどこか聞いてみると・・・。「この道を100mか200m行った所だ」と大雑把な返事が返ってきた。
淡海和尚の 碑の側には、23番や 26番の天保年間の千手観音や19番のお地蔵さまが安置されている。なんとも
不思議な光景だ。
島田川に沿って、山道を歩いていくと前方に、山陽自動車道が見えてきた。観音さまの道が心地よい。自動車道の下を
通り見上げる。いつもと違うアングルが新鮮だ。
すぐに、ガードレールの切れ目の所を左に降りて行く。再び、道が怪しくなるが、前方に民家が見えたら右に曲がり車道に
出る。毛利元就の歯廟に向う。
説明板によれば、元就の七男元政が、父元就の遺歯を納めたと書いてある。宍戸家や、その家老末兼家の墓所を見て、
元政の宝篋印塔へ向う。ここでも、説明板を読んでいると、織田信長の娘の名が出てくる。信長の娘の墓がこの三丘に
ある 、「女とは何処にでも根をおろす強い生き物だ・・・」横で越後生まれのママが一杯引っかけて眠っている。
来た時、通った筏場橋を左に見て、貞昌寺への道を急いだ。思ったより周遊時間がかかり、午後からの所用が迫っている。