石城山(いわきさん) 360m

光市塩田



神籠石(こうごいし)


2025年12月5日(金) 天気 晴れ 寒い


伊賀登山口(9:00)~55分~月ヶ峰(9:55)~25分~鶴ヶ峰(10:20)~20分~星ヶ峰(10:40)

~13分~大峰(10:53)~14分~高日ヶ峰(11:07~11:45)~25分~北門跡(12:10)~36分~

伊賀・三鍛冶屋分岐(12:46)~20分~三鍛冶屋登山口(13:06)~10分~伊賀登山口(13:16)

所有時間 4時間16分


概念図

   

伊賀登山口



石城山は白村江の戦い(663年)で負けた天智天皇が唐・新羅の攻撃に備えて作られた頃の神籠石系山城と推測されます。神籠石や版築土塁など百済から亡命して来た職人達の高度な築城技術が見られます。岡山県の鬼ノ城と同じ形態の山城で、山頂八合目辺りを鉢巻きのように神籠石や水門が張り巡らされています。また明治維新の胎動の地でもあり、第二騎兵隊の所縁の山でもあります。今日は石城山の五つの峰を巡る山歩きを楽しみました。



こちらのホームページを参考にしてください


道しるべ


ムカゴ
  伊賀登山口には数台駐められる駐車場がある。急な坂をつづら折りに登って行くと、やがて石城山が見える。

変則五叉路
  そこから約5分で左手にお堂があり、ここで三鍛冶屋コースと合わさる。緩やかに登って行くと変則五叉路に着く。
 ここには「第二騎兵隊士首置松跡」という物騒な標柱が立っている。矢印のある左の道を登って行くと、西水門の
 分岐があり、その前方に第二奇兵隊本陣跡の標柱と説明板がある。

拡大可

拡大可
  第二奇兵隊本陣跡には千手観世音菩薩像がある。

月ヶ峰(築山)四等三角点(点名:石城山)
マウスを置いて

岸信介の石碑(拡大可)

拡大可
 その右手から山を上がって行くとすぐに月ヶ峰(築山)に着く。山頂には真新しい月ヶ峰の綺麗な標識がある。
  第二奇兵隊本陣跡に戻ると、その先に佐藤栄作と岸信介の石碑がある。

仁王門
  石城神社には東郷平八郎の額が掲げてある。更に進んで行くと仁王門があり、その先を右に鋭角に広い道を登って行くと
 鶴ヶ峰に着く。

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鶴ヶ峰

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  鶴ヶ峰にはNHK等の電波塔があり、「鶴ヶ峰」の標識がある。右手の草の中には「騎兵隊火薬庫の跡」の石柱が立っている。
 大師堂を周り駐車場にある周辺概念図を確認して、キャンプ場跡を通り星ヶ峰に向う。

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  第二騎兵隊練兵場跡を通り、銅版の観世音菩薩像を眺めて、キャンプ場跡を通り北門に向かうと、左手に山に上がる道が
 ある。

マウスを置いて

宇和奈利社
  登って行くとすぐに星ヶ峰に着く。山頂には「星ヶ峰」の綺麗な標識がある。大師堂の対面の道を登って行くと左手に石段があり
 木花咲耶姫命を祭る宇和奈利社がある。左手から登って行くと大峰に着く。JBTさんの標識があった。

大峰

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  宇和奈利社、磐山神社の先の日本神社にはさざれ石があり、四季桜がが咲いていた。今日最後の五番目の高日ヶ峰に向う。
 途中物部神社等の神社を通り分岐を左に山道を登って行く。

分岐左

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  登って行くと高日神社に着く。ここが高日ヶ峰で石城山の標識が掛けてある。
  
 高日ヶ峰からは柳井市、周防大島、熊毛半島、平尾町が望める。周辺には銭壷山、琴石山、大星山、四国も望める。
 柳井から平尾は平安時代以前は海で、熊毛半島は島で熊毛王国が栄えていた。海を見下ろす石城山に山城が
 あったのも頷ける。

モズ

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  草原を降って行くと、先ほどの主道の先に出た。そこには標識がある。鳥居を通りドンドン降って行く。

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東水門(拡大可)
  分岐を鋭角に左の東水門に向うと1400年前に作らえれた神籠石のある道になる。東水門を通り登って行くと・・・

拡大可

北門跡(拡大可)

北水門(拡大可)
  版築土塁の説明板がある。その先の北門跡からは星ヶ峰、キャンプ場跡へエスケープ出来る。更に神籠石の道を巡ると
 龍岩があり降って行くと北水門に着く。

水門

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  北水門から登り返して、少し降って行くと最後の西水門がある。西水門は石垣が三段積んである。登って行くと広い所があり
 塩田方面が見える。
  下山は三鍛冶屋コースを降りた。道は明確だ。山門の先から県道63号線に降りて伊賀登山口に戻って来た。


2020年8月5日      伊賀・三鍛冶屋口コース
2012年7月17日     三鍛冶屋・伊賀口コース


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