長生寺城山 100m 矢田城山 122m 尾崎山 137m おいとう山 129m

下関市豊田町大字矢田



長生寺城山から豊田町を望む


2025年2月20日(木) 天気 晴れ


豊田総合支所(12:36)~11分~長生寺城山(12:47~12:56)~5分~藤棚(13:01~13:16)~9分~西八幡宮(13:25)

~23分~矢田城山(13:58)~13分~尾崎山(14:11)~9分~おいとう山(14:20)~29分~豊田総合支所(14:49)

所有時間 2時間13分


参考資料 城郭放浪記 長生寺城山


概念図


今日の軌跡
     

豊田総合支所




長生寺城山の山頂は広く疎林に覆われていて、山城の遺構は見つかりません。直下の展望所からは豊田町の街並みが望めます。長正司公園の藤棚は見事で花が咲いたら圧巻でしょう。「愛は時空を越えて」と言う看板に惹かれて、しばらく尼子の重臣神西三郎左衛門国通と妻孝子の説明板を読んでいました。矢田城山は竹林に覆われて曲輪か畑か見分けが付かず、場所が分からなければ行けない山城でした。豊田町の西の尾根を歩き、尾崎山、おいとう山を経て周回しました。山名を教えて頂いたので、一日で七座の新規の山に登る事が出来ました。


道しるべ


取付
  豊田町総合支所に許可を得て駐車する。西には矢田城山が望める。先ずは長生寺城山へ向かう。北に白い手摺が見えるので
 そこへ向かう。取付きは「シラツチ12」の電柱。地名は長正司だが古文書では「正」ではなく「生」の字が記載されていると、教えて
 頂く。
  階段を登って行くと慰霊碑がある。慰霊碑の裏から登って行くと、すぐに長生寺城山に着く。
  長生寺城山は平坦な広い山頂だが、山城の遺構は素人の私には分からなかった。直下の展望地からは豊田町が望める。
 

導州ヶ嶽(左)・江船山(右)

藤棚
  南東に導州ヶ嶽と江船山が望め、近くには戊辰戦争の時に白虎隊の飯沼貞吉を助けた楢崎頼三の秘話所縁の地がある。
 長正司公園の藤棚は大きく枝を張っている。

拡大可
  公園の上には♡の看板があり、「愛は時空を超えて」のフレーズが目に入る。その先には神西家の墓と説明板がある。

拡大可

拡大可

拡大可
  

拡大可
  長正司公園を後にして矢田城山へ向かう。西市小学校の先の西八幡宮から登って行く。
  登って行くと鹿ネツトがあり、遺構らしきものがあるが、まだ先のようだ。右に降って行くと倒竹になる。再び登って行くがどうも違う
 ようだ。手元の地図を慎重に読んで進んで行かれ矢田城山に着く。
 


矢田城山

 
尾崎山
  矢田城山は北が小さな段々になっているが、山城の遺構かどうか分からない。南西に尾根を巡ると尾崎山に着く。

歩いた稜線
  更に進んでいくと車道に出る。標高点129mのおいとう山を踏み、歩いて来た尾根を眺めながら豊田町総合支所に戻って来た。
 皆さんとご一緒出来て楽しい山行になった。



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