NHK大河ドラマ「光る君へ」の登場人物と百人一首について
このドラマは藤原道長が摂関政治の全盛期を築いて行く平安時代中期、紫式部(ドラマではまひろ)を主人公にした人間模様を描いている。ドラマは第10回の花山天皇出家と、
道長とまひろが結ばれた所まで進んでいる。このドラマを初回から見ていると、時代背景や登場人物の人間関係が良く分かるが、別な面から見ると紫式部、清少納言、赤染衛門、
藤原道綱の母、儀同三司母・高階貴子、清原元輔、藤原公任など百人一首に詠まれている当時の和歌の名手がドラマに登場して来て更に興味深い。
名前を書いてもわかり難いので俳優名を入れ、相関関係図をリンクしておいた。ここでは登場人物の概要と百人一首に選ばれた和歌を載せてみた。
紫式部(吉高由里子)の歌(57番)
「源氏物語」の著者
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
訳 / めぐり逢ったのかどうか、それすらわからないうちに雲隠れした夜中の月のように、あの人もあっという間に帰ってしまったことです。
藤原定家の訳だと女友達が久しぶりやって来た時に詠んだとされているが、ドラマのように藤原道長(柄本祐)との逢い引きだと面白い。
清少納言(ファーストサマーウィカ)の歌(62番)
「枕草子」の著者、一条天皇の皇后定子(高畑充希)に使える。ドラマでは二人は会っているが、宮中に使える時期がズレているので互いに接触していない。
夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ
訳 / まだ夜の深いうちに鶏の鳴き声をまねて上手くだまそうとしても、中国の函谷関ならともかく、あなたと私の間にある逢坂の関は決して通ることを許さないでしょう。
書道の名手藤原行成(渡辺大知)とのやりとりの一部で、中国の故事を引き合いにした歌、漢文の造詣が深い事が伺える。
赤染衛門(凰稀かなめ)の歌(59番)
「栄花物語正編30巻」著者と言われる。藤原道長の正妻、源倫子(黒木華)とその娘中宮彰子(見上愛)に使える。同僚には紫式部や和泉式部がいた。
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな
訳 / あなたが来ないと知っていたらためわらないで、とっくに寝ていたでしょうに。信じて待っている間に夜が更けてしまい、西の山の端に傾くまでの月をみてしまいましたよ。
藤原道綱(上地雄輔)の母(財前直見)の歌(53番)
「蜻蛉日記」の著者、藤原兼家(段田兼家)の二の妻
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
訳 / あなたがおいでにならない事を嘆きながら、一人で寝る夜が明けるまでの間が、どれほど長いものかおわかりでしょうか、いえおわかりではないでしょう。
儀同三司母・高階貴子(板谷由夏)(54番)の歌
道長の長兄、藤原道隆(井浦新)の正妻、一条天皇の皇后定子の母
忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな
訳 / あなたは私のことを決して忘れまいとおっしゃるけれど、遠い将来まで言葉通りの愛情が続くことが難しいので、そうおっしゃる今日を最後として絶えてしまう命であって
ほしいと思います。
清原元輔(大森博史)(42番)
清少納言の父、後撰和歌集の選者
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは
訳 / 二人は固く約束しましたよね。お互いに涙で濡れた袖を絞りながら、あの末の松山を波が決して越すはずがないように、どんなことがあっても二人の愛は決して変わらない
ようにしましょうと。
藤原公任(町田啓太)(55番)
関白太政大臣藤原頼忠(橋爪淳)の子
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
訳 / 滝の音が響かなくなってからずいぶん長い年月が経過しましたが、その素晴らしい評判は、今もなお広く世間に流れ伝わっています。
大弐三位・藤原賢子(58番)
紫式部の娘、関白藤原道兼(玉置玲央)の次男兼隆の妻
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
訳 / 有馬山に近い猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音を立てます。さあそれですが、あなたは私の心変わりを心配だとおっしゃいますが、
私があなたを忘れたりしましょうか、忘れはしません。
和泉式部(56番)
和泉守橘道貞との間に小式部内侍という娘をもうけるが、恋多き女性だった。
あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 逢うこともがな
訳 / 私はもうすぐこの世を去ります。あの世に持っていく思い出として、せめてもういちど、あなたに逢いたいと願っています。
小式部内侍(60番)
和泉式部の娘で母と一緒に中宮彰子に使える。
大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
訳 / 大江山を越えて、生野を通って行く道は遠いので、まだ天の橋立の地をみたこともありませんし、もちろん母からの手紙など見たことはありません。
この歌はの「いくの」は生野と行く、「ふみ」は踏みと文の掛詞になっていている。
参考資料 百人一首「眠れないほどおもしろい」 板野博行著他