因島水軍城

広島県尾道市因島中庄町3228-2


2025年6月15日(日)



毎年の恒例になっているM夫妻との旅行で、しまなみ海道の因島水軍城耕三寺、道後温泉街散策、松山のホテルに泊まり居酒屋で飲み食いし、翌日内子、大洲を観光しました。帰りの防予汽船からは二連の虹が見えました。その夜は我が家で飲み大いに語りあいました。梅雨時でしたが天気に恵まれて思い出に残る旅になりました。因島水軍城は、来島にある海賊ミュージアムと間違えて行きましたが、村上海賊の歴史が良く分かり満足出来ました。



思い出


因島水軍城(拡大可)

案内図(拡大可)

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 村上海賊に興味を持ったのは石山本願寺と信長の長期に及ぶ戦いの時に、毛利軍に従い大量の船で織田軍の船団を破り
 石山本願寺に兵糧を運び入れた史実による。村上海賊は通行料を取り、瀬戸内海の交通の安全や警備を行っていたので、
 いわゆる海賊とは意味が違う。歴史は古く平安時代の藤原純友の乱鎮圧までさかのぼる。その後、その一族から信州の
 村上家に分かれる。(武田信玄と戦った村上義清が有名)

城門(拡大可)

説明板(拡大可)

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  城門から城に入る。水軍城は比較的新しく再現されたようだ。

白滝山

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  城内からは五百羅漢のある白滝山が望める。

説明板(拡大可)

小早船(拡大可)

展示物(拡大可)
 村上海賊は能島、来島、因島の三家に分かれる。小早船(こばやぶね)を操り、ほうろく火矢と言われる素焼きで出来た手投弾を
 用いて敵の船を爆発炎上させた。尚村上海賊の戦術は日露戦争でも参考にされバルチック艦隊を破った。

青陰城跡(拡大可)

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大阿武船
  青陰城は村上義弘が築城した山城で間近に望める。村上海賊の主力船の大阿武船(おおあたけぶね)の模型が展示してある。

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白紫緋糸段縬腹巻(拡大可)

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村上新蔵人吉充(拡大可)

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武具(拡大可)
 因島村上氏第6代当主村上新蔵人吉充(よしみつ)は、戦国時代村上海賊全盛期の時代で、有名な能島当主村上武吉と同時代。
 毛利軍小早川隆景に従った。瀬戸内海の覇者として栄えた村上海賊も豊臣秀吉の海賊禁止令によって衰退する。

村上家太刀 銘/正信

黒韋肩白腹巻(拡大可)
  

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藍糸威具足(拡大可)

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甲冑(拡大可)

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青陰城跡(拡大可)
 何時か白滝山や青陰山に登り、村上海賊ミュージアムに行ってみたい。


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