一乗谷朝倉氏遺跡



2021年10月7日


一乗谷は朝倉氏五代103年にわたり越前の国の中心地として大いに繁栄しました。1573年織田信長に滅ぼされ、城下も焼き尽くされました。




 諏訪館は朝倉義景の妻「小少将(こしょうしょう)」の館で、その庭園は遺跡の中でも最も規模の大きいものです。中心の4m余りの巨石は、滝の石組の一部となっており、全体に水平感と垂直感を基本にして安定感のある構成になっています。この石には江戸時代末に彫り込まれた3代貞景、4代孝景等の法名(ほうみょう)が残されています。
義景館跡を見下ろす高台にあり、先ず荒々しい石組に驚かされます。どの石も強い表情を持ち迫力があります。鶴や亀を思わせる島があり、水路が山際に沿って南から北に走り滝口に注ぐ池泉(ちせん)庭園になっています。他の庭園とは様式も感覚も異なり、一乗谷で最も古い庭園とされています。
  初代朝倉孝景(たかかげ)の墓所
 第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500㎡程の敷地があり三方は土塁(どるい)と濠(ほり)で囲まれています。常御殿(つねごてん)、主殿(しゅでん)、会所(かいしょ)、茶室(ちゃしつ)、日本最古の花壇のほか、台所、厩(うまや)、蔵などが整然と配置されていました。東側の山際にある館跡庭園は力強い滝の石組、護岸石組を持ち、その洗練された石組に京都との文化の交流が感じられます。
 五代朝倉義景(よしかげ)墓所
 
   
     


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