会津観光

2018年10月5日


安達太良・那須岳・磐梯山と会津を拠点とした山登りが一段落して、明日からは更に紅葉を求めて北上します。その前に是非会津の観光と思い、大内宿・鶴ヶ城・飯盛山を回りました。


大内宿



   
   
   
     
  江戸時代の宿場がそのまま残っている事を知り是非訪れたい場所でした。茅葺の街並みを見ると何故か懐かしい
 気分になります。民家のほとんどが土産店だったのが少し残念でしたが、両手一杯の林檎を買って満足そうな後ろ
 姿も良いものです。会津から大内宿に向かう道沿いのトタン屋根の建物が生活感があり、雪深さを感じさせてくれ
 ます。



鶴ヶ城



  鶴ヶ城に着くと、会津が貫いた「義」とはなんだったのか。と言うテーマの展示を行っています。その前にまずは糖分
 補給・・・。横ではボランティアの方が鶴ヶ城の説明をされています。
 
   
  ボランティアの方に案内をして頂いた、この場所からは、野面積み・打込み接ぎ・切込み接ぎの異なった時代の石垣が
 見られます。城見物の楽しみは石垣にもあると教えて頂きました。因みに一番古い野面積みが一番強い石組だとか。

 
   
 鉄門から本丸に入ると、戊辰戦争で約1ヶ月に及ぶ激しい籠城戦に耐えた写真があます。


桜の咲く頃の写真スポット
  城の中を見学する前に、鶴ヶ城の撮影ポイントを案内して頂きます。土井晩翠の作詞の荒城の月の歌碑の前で皆で
 荒城の月を歌い、ガイドさんは詩吟を謡われ旅情が高まります。

  飯沼貞吉は白虎隊の一員で一命を取り留めます。新政府軍に捕らわれた貞吉を、楢崎頼三が密かに長州で匿い
 ます。近年この事がTVでも放送され、会津と長州の長年の遺恨が解けたようです。鶴ヶ城からは、磐梯山が見え
 ます。白いポールの方向が白虎隊が自害した飯盛山になります。
 



飯盛山



飯盛山から鶴ヶ城を望む


  飯盛山に着いて、まず食堂に入り蕎麦を頂く。綾瀬はるかの「八重の桜」のポスターが壁に貼ってあるが黄ばんで
 いるのが何とも言えない。什の掟の「ならぬことはならぬものです」の言葉が好きで良く言っていたのを思い出す。

 白虎隊殉難士各霊塔に向かう途中に飯沼貞吉の墓もある。少年隊士の像が眺めている方向が鶴ヶ城に当たる。


イタリア碑
  自刃の地から、白いポールの方向に鶴ヶ城を眺めるも良く見えない。白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、
 当時のイタリアの首相ムッソリーニから「白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。」と贈られ
 た石碑もある。 会津什の掟の精神はファシズムとは全く違うものだ。

  白虎隊十九士の墓や、烈婦の碑にお参りして当時に思いを馳せる。明治維新は多くの犠牲を払って生まれた事を
 忘れてはならない。

  さざえ堂は1796年に建てられた六角三層の仏堂だ。同じ建物内で一方通行になっている。

  さざえ堂を後にして、食堂前に戻って来たら自販に白虎隊の絵が書いてあった。ご当地ならである。会津盆地は
 のびやかで黄金色の稲穂が印象的だった。